常識は疑え

公の面前で大げさに吐露することにしました。

競争社会は相乗効果のもたらすメリットに視点を持っていくべき

こんにちは。

ドナルド・トランプ大統領の発行する大統領令にあちこちで批判が殺到しておりますが、反対にそれに賛同する人間も少なからずいるというのが今回のタイトルの出発地点です。

 今回トランプを支持した勢力というのが、グローバル資本主義社会から取り残された右側の人々です。

彼らはこのグローバル資本主義の恩恵を受けられなかったと考えている人々です。

しかし、それは認識を誤認しているという考えを持っているというのが、私の想いです。

この前のブログにも書きましたが、

 

htakeno259.hatenablog.com

支持者たちは恩恵を受けられなかったのではなくて取り残されてしまった人々と考えます。

 これまでの生物の発展を紐解いていくと、取り残された動物は滅びて行っています。足の遅い動物は、草食動物で言えば逃げ切れず、肉食動物で言えば獲物を捕まえることができません。原始的に言えば、生き物は競争に身を置きながらずっと過ごしたわけです。

しかし、我々人類は、必要なものをアイデアを携え、産み出すことを行ったり、過去に起こった出来事を振り返ったり、先の出来事を予測したりしながら、多くの人類は生きるか死ぬかという所から脱却することができました。特にこの200年の進歩は目を見張るものがあります。

 この飛躍的な進歩を実現できた理由、それがモノ、コトにフォーカスした競争。そう私は考えています。

私の考えるこの200年間で起きた3つの大きな競争。

グローバル資本主義の台頭

競合相手と製品の機能やデザイン、価格を競い合うことで、製品は進化を辞めなくなりました。製品が進化を止めれば築き上げた財産を吹き飛ばすことになるからです。

 そしてもはやある一定数の人間は人間の作り出した物に置いていかれる事態になってしまいました。

帝国主義と2度の世界大戦

帝国主義が蔓延った世界で、各国は侵略のため、もしくは侵略を防ぐため軍艦、戦闘機、戦車、化学兵器を生み出し、体力をつけていきました。そして歯車が狂い出した時、多数の人を殺しあう狂気の世界がそこには現れてしまいました。

③資本主義VS共産主義

この競争によって、第二次世界大戦後はまた大きく進歩を遂げていきました。

資本主義国は共産主義国との争いに加え、企業間での競争の激化も発生した為、(+自由度の高さ)結果的に共産主義は倒れました。そしてこの間、あちらこちらで代理戦争が発生していたことも挙げておきます。

振り返っていけば、近代〜現代も競争の歴史でした。システムは変わりましたが、競争原理は変わっていないのです。競争に身を置く側からすれば、競争せずに既得権益を守りながら生活していくのは考え難くなります。成功しているアメリカ企業なんて競争と挑戦、多彩な文化に身を置き続けられたことが成功要因の一つだと考えられます。

 これは企業間だけの話ではありません。スポーツ然りです。野球で言えば、バッターはピッチャーの球を打ち返すために癖を読んだり、より効果的な打法を考えます。ピッチャーはそこで打たれ出したら、次の対策に新変化球を用意したり、フォームを矯正したり、対策を講じます。そうなることで、よりハイレベルな試合が生まれ、観客の満足度は高まっていきます。選手同士もハイレベルな争いをすると、そこにリスペクトが生まれます。

 自動車でも、H社がストリ○ムという、これまでに無い形状のミニバンを売り出すと、消費者ニーズにバッチリはまり、バカ売れしました。ライバルのT社は、寸法をほぼ同じにしてアラを潰したウィ○シュ

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 を発表して、スト○ームのシェアを食いまくりました。

 原始的な生死を分ける形でない競争を人間は実施して進化していくことができました。

仮に企業間の競争で敗れて会社は潰れてしまっても、社内で技術、スキルを育んだ者は引き抜いてもらうことができます。

 行政、教育、企業は保護政策を考える前に、相乗効果が認められる競争の仕組みを推進し、それぞれの独自性や強さを引き出せる社会にしたいものです。

 今度は、クリント・イーストウッド監督作品『グラン・トリノ』を通して、他人種間での相乗効果を考えていきます。