常識は疑え

公の面前で大げさに吐露することにしました。

人間の損失回避性から、上の世代から最近の若者は!と言われる理由を探る。

人間には、損失回避性というデフォルトの習性が存在している。

 

簡単に言うと、100円失うことの痛みは200円得ないと回復出来ないということだそうだ。

その現象は、そのまま戦後の日本人に当てはまるのではないかと自分は思っている。

 

まず、戦後は皆モノが無くなり、失うモノが文字通り無かった。もちろん順調な経済成長が出来たのはそれだけが原因ではないだろうが、

『失うモノは何も無い』

が原動力になったと思われる。

そして高度経済成長が終わると、オイルショックなどの一時的な混乱はあったものの、安定した成長に入り、プラザ合意を経て、そこから悪名高いバブル景気に突入した。

バブル時期、多くの人間が財テクを駆使して、リスクなど遠い国の物と信じて積極的な投資を実施した。

しかしバブル期に多く取引された土地というものは、値段が高くなってもその土地の価値が目に見えて増えたわけではない。バブル景気には実態が無かったので崩壊するのもあっという間だった。

その後日本は失われた10年という時代に突入する。

今を生きる多くの20代は、この時期を過ごしている。ある程度システムやプロダクトが揃った世界で、景気は上向かなかった。

昔から損失回避性が強いひとはある程度いたのだろうが、丁度この時期から損失回避性が強い人が増えてきたのでは無いのだろうか。(自分もそうなのかな)

年長者との価値観の違いはそこにあるのでは無いだろうか。

かつての経済成長期を作ってきた働き方では損失回避世代を動かせないのではないだろうか。と自分は考えている。

損失回避性を回避できるチャレンジングな教育〜働き方を提唱しなければ、日本は守りに入る傾向が益々強まるだろう。

自分が損失回避性を打ち消すためのシステム。それは

『失敗を正しく評価する』こと

だと思う。

また失敗を正しく評価することについては詳しく話したいと思っている。