大量消費社会の弊害〜使い捨てを廃せるか
ホセ・ムヒカというウルグアイの前大統領の存在が、少し前に日本でも話題となりました。
彼の存在を知ってから、自分の中でも一つの考えが浮かびました。
それは・・・
大量消費社会はゴミや温室効果ガスの発生だけではなく、エネルギー、更には労働力まで無駄にしているのではないか。という考えです。
原材料に労働力を加えることで、使用価値を生み出すという定義を解きました。
共産主義は倒れてしまいましたが、マルクスのこの定義は不変のものだと思います。
大半の労働は、この定義に基づいて行われていると思います。(サービス業でさえも空間やサービスといった労働力を加えて使用価値は生み出されている。)
私は、
『マルクスの定義する使用価値の中には、モノの耐久性というものも含まれている』
のではないかと思っています。
例を挙げれば、缶や割り箸、コンビニのプラスチック容器は一回の使用価値しか無い。
使用価値が短いため、すぐに労働力を用いて次の容器を供給する必要がある。
短い使用価値のものを生み出す。それによって、経済は回っているのかもしれないし、雇用が生み出されているのかもしれません。
でも、進歩のない繰り返しの作業が人にもたらすものは少ないと僕は思っています。
言い換えればそこで無駄な労働が発生しているのかもしれません。
もっと人にはやるべきことがあるんじゃないか?
家族と触れ合う。自分が追求したいことを追い求める。(安定した衣食住があることがベースだが)
こういう繰り返しの仕事を減らして、良いものを創るために人の力や時間を結集する方が、長期的に見ても社会の為になるのではないかと考えます。
人に使い捨ての癖がついてしまう危険性もあるんじゃないかっていうのも心配しています。
行動経済学の実験で使い捨て社会が人に及ぼす影響を検証できないだろうか?
追記 使い捨てに頼ってしまうのは、食器を洗うこともできないくらい消耗して働いている人でもないだろうか。自らの時間短縮はされるが使い捨てを好むことで、全社会的には労働が増える。悪循環になってしまうんじゃないか。
自動車なんかも13年乗ると、早く買い換えろと言わんばかりに税金が上がります。
13年も乗り続けていられる車って名車なんだと僕は思います。オーナーさんが大事に使っているのも凄く伝わってきます。
排ガスの使い捨て率は今の車より高いんだろうけども。
古いものを大切にするのは資本主義経済の敵なのでしょうか?
古いものを大事にしても経済が回る上手い着地点を探しに行きたい。今度はムヒカの採った政策をヒントに記事を書こうと思います。