限定合理性を排せ
まず、限定合理性とはなんぞやというところから
限定合理性(げんていごうりせい、英語: bounded rationality)とは、合理的であろうと意図するけれども、認識能力の限界によって、限られた合理性しか経済主体が持ち得ないことを表す。(wikipediaより)
人間はあらゆる選択肢に何かしらの答えを出して、日々を生きています。
例えば、晩御飯の献立、趣味、職業etc...
しかし、我々が下していく答えというのは、場所の影響を受けたり、周囲の人間の影響を受けたり、テレビの情報に流されたりと、純粋に合理的な所はどこか。という答えを確信して選択しているわけではありません。
そんな限定合理性は、今よりかは昔の方が幅を利かせていました。
例えば、太平洋戦争時の大本営の情報統制。
日本国民は限定的な情報しか知り得ないわけですから、連戦連敗でも日本は強いと信じてしまうことはしょうがなかったわけです。
アドルフ・ヒトラーのホロコースト政策も、ユダヤ人は悪で、アーリア人は正義という考えも、何も化学的な根拠がありませんでした。ヒトラーの正しそうに聞こえる演説に引っ張られたドイツは泥沼の戦争を引き起こします。
あとは、お年寄りへの押し売りなんかも限定合理性を活用した例と言えます。
今半額だから、今買わないと損しますよ!とか絶対後で価値が上がりますよ!なんて親切かつ最もらしく嘘の情報を並べることで信じこませようとします。
発信する側にとっては、限定合理性は都合が良いものなんですね。
しかし、時は2016年末、世の中にはインターネットが台頭し、今後はあらゆるモノ、コトにインターネットは入り込もうとしています。 情報があらゆる人やモノを補完して、より合理的な社会を目指しているわけです。近年ブラック企業が遮断されるのも、情報が拡散されることによって、社会全体の正しいことは○○である。という全体知が出来上がって、そこと比較されるようになったからです。
一方で、未だに限定合理性から抜け出せていないことがあります。
それはショッピングです。アマゾンなんて5000万点以上の商品を取り扱っていますが、我々が購入するものは、もともと欲しかったものか、トップ画面の特集欄に掲載されていたオススメのものか、気が向けばちらっと表示されるオススメ商品くらい。
広いようで、極めて狭い範囲でしか買うものを選択できていないのです。
街中でのショッピングもそうです。おおまかな欲しいものは決まっているけれど、そのディテールは売っているものでしか判断できません。
例として、デザインをイメージして、カバンを買いに行きました。すると、3000円でそのデザインのカバンが置いてありました。安い!と思わず購入してしまいました。しかし、実は本革だと思っていたのが、人工皮革だった。。。(実話)
なんてことが起こり得ます。(多分)
限定合理性を排除するために、私はもっとレコメンドが推進されるべきと思うのです。例えば、洋服屋ではレジを自動化して、そこですぐ人件費を浮かすのではなく、お客さんへのコーディネートを積極的に提案するとか。
(GUのセルフレジ)
インターネットショッピングでも電話サポートor WEBサポートを作って、お客の欲しいものを聞き出して、それに見合う検索ワードを提供するなどのサービスが考えられます。
そんなレコメンドを上手く活用しているのが、テレビ通販で同じみのジャパネットたかたであると思います。
商品の特徴、日常での使い方を徹底的に掘り下げることにより、客はその商品を購入して使っている姿を容易にイメージすることができます。最も欲しかった商品が別にあったとしても、ジャパネットで紹介した商品に容易に置き換えが可能になります。
こんな商品でもみんな満足して使ってた!(はず)
決して選択肢が増えたわけではありませんが、日常で使っているシーンを容易に再現できることで、購入しやすくなり、購入後も、イメージとの差異が極めて少なくなります。
限定合理性を上手く逆手にとって活用していると思います。
各企業は、イメージに頼ったCMだけでなく、ジャパネットを見習ってネット通販サイトに載せるための商品レコメンド動画を作成するべきだと思います。
僕が価格.comの社長だったら絶対やりますねw