ワイドショーコメンテーターのタレント化への違和感
こんばんは。
最近、暇な時にテレビをザッピングしていて感じたワイドショーのコメンテーターがタレントさんに偏ってしまっている事への違和感を語っていきたいと思います。
①タレントは専門家と視聴者のつなぎ役として存在しているべきであった。
以前、限定合理性について記事を書いたのですが、我々は知り得た情報からしか、物事を判断するしかありません。だからニュース番組やワイドショーでは専門家が登場し、世界情勢や残虐な事件に対して、彼らがこれまで培ってきた知識や理論を用いて、視聴者に理解させます。しかし、すべての視聴者が専門家の説明を一回で理解できないことも多いかと思います。そこで現れるのがタレントです。視聴者目線で、再度質問をしたり、知りたいことを聞いていきます。そして視聴者により理解を促していきます。今までの役割はここであったと思います。
そしてこの能力に一番優れているのが池上彰さんでしょう。
自ら掘り下げて専門的なことを説明し、インタビュアーとしては視聴者目線で、政治家を始めとする権力者に斬り込んでいく。専門家、ジャーナリスト、タレントとしてテレビには欠かせない存在になっています。
しかし、ワイドショーではタレントまでもがコメンテーターとして存在する状態が日常化しております。これは限定合理性の面から、由々しき事態であると考えます。
②与えられた知識に対して、自ら善悪を考える機会を奪われる。
タレントという人たちは、ワイドショーで放送されるニュースに対して、視聴者同等、もしくは+αの知識しか持ち得ていないのではないかと考えます。
その限られた情報の中で、彼らはスパッと歯切れよく物事を斬っていきます。私はこれがあらぬ印象を視聴者に与えてしまったり、誤った情報を拡散させる原因になり得ると考えます。
また、視聴者と同等の知識で斬った人が、視聴者に私が正しいみたいな印象を与えてしまえば、本来であれば専門家の知識を基に、視聴者自ら善悪について考える機会があったにも関わらず、タレントの意見に自分の考えも持っていかれる可能性もあると考えます。
タレントは良いギャラももらっていますし、次の仕事にも関わるゆえ、歯切れの良いコメントを使うのは仕方ないのかなとも思いますが、私としては本来人間はそんな単純なものじゃないっていうのが根底にあります。
人の一部を悪行だけで全てを叩く。一部の意見だけで右派や左派かに分けられてしまう。世の中がそんな風に要約したがっていて、タレントさんのコメントにもそれを感じてしまう瞬間が少なくありません。
③そもそも、タレントがコメンテーターとして活躍できるようなニュースが多くなった?
昨年は特にそうだったと思いますが、タレントの不祥事に対して、別のタレントが専門的にコメントする機会も多かったのではないかとも思います。だからタレントのコメンテーターが増えたのではないかと。
それでも昔は、社会的ニュースと芸能ニュースでもう少し住み分けができていたように感じるのです。こんなに芸能ニュースを取り扱う番組って多かったっけ?て思っています。
一時期偏向報道という言葉が話題になりましたが、今のワイドショーは、知識を重視せず、視聴率を重視する方向に傾いている感じが否めません。