常識は疑え

公の面前で大げさに吐露することにしました。

maybeは名曲へ引き上げた。初期のノエルギャラガー論

ノエルギャラガーは凄い。

何がというと、普段は口が悪いことで知られているのに、彼にペンとギターを持たせると、繊細かつ素晴らしい曲を作り上げる。

ましてや、ノエルの口の悪さとのギャップが、彼が作り上げる曲に説得力すらもたらしてしまうのでは。とすら思える。

聖人君主が綺麗な曲を作るよりも、ノエルのような人が綺麗な曲を作り上げる方が、心の中に入ってくるのでしょうか。

 ノエルが全曲作詞作曲したOASISのデビューアルバムは英国でも日本でも瞬く間にヒットしました。このアルバムの曲はどれも名曲たりえるものですが、1曲挙げるとしたら、「Live Forever」を推す人も多いと思います。

 この曲は、ギラギラした1stアルバムの中では異質だと思います。1曲目では、「今夜、俺はロックンロールスターだ!」と高らかに歌い上げ、最初にシングルカットした「SUPERSONIC」では、一言目で「俺は俺である必要がある。他の誰でもなく」なんて歌っているのです。あの長渕剛ですら、「とんぼ」では「俺は俺であり続けたい。そう願った」と控えめな表現をしているというのに!

そんな、自信に溢れた曲の中で、「Live Forever」では出だしからMaybe(多分)と歌いだします。

次のアルバム、モーニンググローリー以降、繊細なノエルの曲はもっと増えるのですが、「ロックンロールスター」、「タバコと酒」

と続いて、いきなりMaybeと始まります。

しまいには、Maybe I just wanna fly. Maybe I just wanna breathe. とMaybeを連呼し始めます。さっきまで野望に溢れてちょっと粗暴な感じもあったのに、急にこんな女々しい表現になってしまうなんて、どうなっているんだ!

 Maybeの謎解きをするためにまず、この曲の成り立ちについて触れたいと思います。

Live Forever」は、オアシスがメジャーデビューした1994年に自殺したNirvanaのフロントマンであったカート・コバーンが作った「I hate myself and want to die」へのアンサーソングとして作られた曲です。ノエルギャラガーとカートコバーンは同じ1967年生まれで、左利き、青い目、ビートルズ好きということで、ノエルはカートへの親近感を抱いていた事を後に告白しています。そして、Nirvanaがメジャーデビューしたアルバム「Nevermind」をロックの未来を鳴らした音だと絶賛していました。そんな憧れの男が作った曲が絶望を歌っていることに、ノエルは憤ります。

そして、この曲を作り上げました。ロックは希望に溢れた音を鳴らすべきだという信念が、「Live Forever」を作り上げたのです。

一方で、ノエルは同時に真っ向からカートコバーンを否定する曲にしたくなかったのではないかと推測されます。同い年ながら、圧倒的に成功した正真正銘のロックスターに対して、地方都市マンチェスターの労働者階級から、これからのしあがろうとする無名の男。相手には尊敬、敬愛している部分もある。ノエルはそこでMaybeを使ったのではないでしょうか。

確固たる意思を隠すため、自身のなさや、揺れる心がMaybeに透けて見えます。それがこの曲を、とんでもない理想論から、現実へと引き戻しているのです。

 

初期オアシスはマンチェスターの労働者階級出身ということで、労働者階級のヒーロー的な扱いもされていました。迷いながらも理想を歌い上げる「Live Forever」はまさに彼らのアンセムとなったのでした。この曲からMaybeを取ってしまうと、庶民の心からもかけ離れた場所に存在してしまうでしょう。

 

最後に、時代はノエルとカートコバーンを引き合わせませんでした。現在はオアシスからも離れ、様々な音を吸収して、進化するノエルの姿は、グランジの先の音を探して葛藤していたカートコバーンにも重なるものがあります。もし2人が会っていたら、喧嘩してしまうような気もするし、気が合うような気もするし、見てみたかった。

その一方で、Nirvana時代にドラマーだったデイヴ・グロールOASISの復活の署名を集めようとして、ノエルに悪態を突かれているのは、途切れたものが実は途切れてはいなかったような気持ちにさせてくれてなんだか良いものですよね。