常識は疑え

公の面前で大げさに吐露することにしました。

ろっしふみ、がんばって!

Motogpの開幕戦もようやく日程が決まりました。

今年はF1もMotogpも日本GPは中止となってしまい、たいそう残念で仕方がありません。

しかし、この状況の中で開幕してレースが出来ることがある意味では奇跡なのかもしれません。

さて、先日MotoGPのオフィシャルアプリを開くと、とある過去のレースが無料で視聴できるようになっていました。

そのレースとは、1994年の日本GPです。

https://www.motogp.com/ja/video_gallery/2017/05/16/motogp-classics/228123?n=91245

このレースは文字通り伝説のレースとなりました。優勝したのは、スズキを駆る前年の世界王者、ケビン・シュワンツでしたが、

主役はシュワンツではなく、このレースがWGPデビューとなった18歳、阿部典史、後のノリックでした。

ゼッケン56の阿部が駆るマシンは、型落ちのNSR500。ミスタードーナッツが当時売り出していた飲茶の広告がデカデカと載った赤いマシン。

エンジンパワーは型落ちのため、当然ながら最新のエンジンより不足しており、不利です

更に、タイヤは2輪界で最も多くの世界チャンピオンを輩出したライバルも履くミシュランでは無く、ダンロップタイヤ。

 

どう見ても、阿部に有利な状況では無かったのですが、いざレースが始まると、阿部は母国の観客、世界中の視聴者、関係者を熱狂の渦へと巻き込んだのでした。

ポールポジションからスタートしたのはヤマハワークスのルカ•カダローラ、追うのは前年の世界王者シュワンツ、94年〜98年と制覇した後の絶対王者ミック・ドゥーハン

ヤマハ、ホンダ、スズキのワークス勢に混じり、4番手を走っていたのが、型落ちNSRを駆る、阿部でした。

序盤から中盤にかけて、阿部は2.3位を走るシュワンツとドゥーハンの後ろをピタリとつけます。

そして8週目、3位のシュワンツが2位ドゥーハンにヘアピンで仕掛け、その後すぐにドゥーハンがスプーンコーナーで抜き返します。

殿堂入り王者同士の抜きつ抜かれつのバトルを真後ろから見ていた阿部。その周の130Rからシケインへの飛び込み、再びシュワンツがドゥーハンをオーバーテイクしようとした瞬間、更に内側へ入りオーバーテイクしようとする赤いNSRが現れました。

結果、シュワンツが2位、阿部が3位へ。返す刀で阿部はシュワンツのスリップへ入り、1コーナーでシュワンツのインへ飛び込み、完璧なオーバーテイクを披露します。WGP初参戦の18歳が2人の王者をたった2つのブレーキングポイントでかわして行きました!ヘルメット越しになびく長い後ろ髪を置き土産に。

2人の王者をオーバーテイクした後、駆け引きなんて苦手な〜の、とYUIさんばりに全力で先頭のカダローラを追います。そのせいか、高速コーナーでテールスライドし、所々でバランスを崩しています。きっとミシュランタイヤの方が阿部の履くダンロップより性能が良かったことでしょう。しかし、阿部は型落ちのNSRに鞭を入れ、翌周のホームストレートでカダローラの真後ろまで迫り、130Rで大胆にオーバーテイク!ついにトップに躍り出ました。動揺したカダローラは130Rでバランスを崩し、あわや大転倒を引き起こします。

このカダローラの動揺のおかげで、シュワンツ、ドゥーハンはたやすくカダローラをオーバーテイクし、阿部を追います。

駆け引きなく全力で逃げる阿部に、シュワンツとドゥーハンも触発され、必死で追いかけます。無名の1戦のみ参戦の若者が、王者2人を抑えて勝つなどプライドが許さないことでしょう。

シケインの飛び込みでシュワンツがすぐに抜き返します。シュワンツは阿部とドゥーハンを必死に突き放そうとします。

一方、阿部はもうタイヤが見るからに厳しそうです。ダンロップコーナーの出口、テールが流れあわやハイサイド、その隙を突きドゥーハンが2位へ浮上します。

それでも阿部は諦めません。翌周の1コーナーで再びドゥーハンをパス!2位を奪い返します。

この周、ドゥーハンはシュワンツに離されまいと再びバックストレートで阿部を抜き返しますが、阿部はすぐさまシケインで抜きかえすデッドヒートを演じます。

このバトルの最中ジワジワとドゥーハンと阿部を突き放すシュワンツ、ここが勝機と全力で逃げを打ちます。

しかし、シュワンツは周回遅れを交わそうとしたときに、周回遅れに詰まってしまい、築き上げたマージンを失ってしまいました。もう阿部のタイヤはズルズル、あらゆるコーナーでテールが流れようとするのを必死でコントロールしています。もうこのタイミングでオーバーテイクするしか阿部は勝つチャンスが無い。ブレーキを我慢できるだけ我慢し、その周のスプーンコーナー!シュワンツのお株を奪うような見事なオーバーテイクで再び阿部はトップに立ちます。

しかし阿部に逃げる力はもう残っておらず、あっという間にシュワンツに並ばれ、抜き返されます。その後はドゥーハンも阿部を抜きにかかり、阿部は3位に落ちます。更には4位を走る伊藤真一も阿部に対してプレッシャーをかけ続けます。もう阿部も万事休すかと思いきや、阿部はそれでもドゥーハンに挑戦を挑みます。18周目の130Rの先、レイトブレーキで阿部はドゥーハンをまたしてもオーバーテイクしました。見るからにタイヤはズルズルなのに、不死鳥の如くドゥーハンに勝負を挑む阿部。

そして残り3周となった19周目、ホームストレートエンド、1コーナーへの侵入、阿部はもうドゥーハンには抜かれない、シュワンツを追いかける!そんな意思表示を示すかの如くレイトブレーキで進入しますが、次の瞬間!。。。。。。。

砂煙が上がり、NSRと阿部の体は数回転して、あわやガードレールの前でストップしました。もうNSRダンロップタイヤは限界でした。阿部の前に出ようとする気持ちを支えられていなかった。彼のヘルメットのモチーフである星の如く、瞬き、消えてしまった。。。

体の状態が危ぶまれるようなクラッシュでしたが、彼は無事でした。バイザーを上げた阿部のあどけ無い表情がとても印象的でした。

 

こうして阿部の最高峰クラスデビュー戦は終了。1994年WGP日本グランプリで最も観客を沸かせた阿部典史は、ノーポイントで鈴鹿を後にすることとなりました。

レースはシュワンツが優勝、ドゥーハンが2位、母国の伊藤真一が3位に食い込む健闘を見せました。

もし、阿部が伊藤を抑えて3位表彰台に昇っていたら、ドゥーハンを抑えて2位になっていたら。。。

たらればを言えばキリがないですが、たらればを言いたくなるセンセーショナルなレースでした。

しかし、彼が鈴鹿の観客、世界中のWGPの視聴者、更にはレース関係者に与えたインパクトはあまりにも大きかった。

そして、もちろんこのレースは阿部の運命を変えました。かつてシュワンツのライバルとして、何度もシュワンツの前に立ちはだかったヤマハのレジェンド、ウェイン・レイニーがかつてのライバルを本気にさせた阿部の才能に惚れ込みます。翌95年、阿部はヤマハワークスからフル参戦デビュー、翌96年にはこの鈴鹿で若干21歳でぶっちぎりの優勝を決めました。

ワールドチャンピオンの期待もありましたが、ドゥーハン、ホンダの最強パッケージの前にそれは叶わぬものの、最高峰クラスでは3勝という成績を残しました。

この阿部の大健闘は、イタリアの片田舎でバイクレーサーを目指す1人の少年の心を大きく動かしました。彼はこのレースの後、この日本グランプリのビデオを毎日観て学校へ登校していました。彼は毎回19周目の1コーナーで再生を止めて学校へ行っていました。彼はその年の夏、ノリックと対面を果たします。この少年は後に、自らサインを貰いに行ったのはノリックだけであると告白しています。

少年の名は、「バレンティーノ・ロッシ」。後の絶対王者、医者が正確に手術をするかのごとく、勝利までのプロセスを重ねる彼はThe Doctorの相性で親しまれています。重ねた勝利数は歴代1位の89勝、WGP最終年とMotoGP初年度を含めた2001〜2005年のワールドチャンピオンであり、41歳を迎えた今も現役で走り続けています。

この「偉大なるチャンピオン」が世界のトップに君臨する過程で、彼の心を支え続けていたのが、18歳の若さで「偉大なるチャンピオンたち」に一歩も引けを取らず真っ向から向かっていったノリックのライディングでした。

ロッシは、WGP参戦当初、自らをロッシふみと名付けて、ノリックのマインドを自らに取り込もうとしました。そのロッシふみの名前は、20年以上後の今でもロッシの愛機YZR-M1の中心付近に貼られています。

ロッシが5年連続のタイトルを決めた後、ロッシとノリックヤマハの企画で対談を行っています。ノリックは、ロッシの偉業、直接対峙した時のスピードを手放しで称賛していました。ノリックは、大いに期待されたデビューレースに比べれば、その後の勝利数3勝は、少し寂しく、ロッシの挙げた功績と比較すれば大きな差ができてしまいました。しかし、対談の中でノリックを見るロッシの目はアイドルを見る少年の目でした。そして、ロッシはノリックへ94年の鈴鹿の話を持ち出すのです。ノリックのおかげでロッシはこの時にノリックのスポンサーだったミスタードーナッツの名前を覚えることができました。

 

この対談から2年後のこと、ノリックはバイク事故(一般公道のUターン禁止箇所でUターンしたトラックに衝突される)によって、32歳で亡くなってしまいました。

ノリックはもうこの世にはいませんが、彼のレースでの勇姿は26年が経過した今でも全く衰えることはありません。純粋無垢にトップへと挑んだノリックの姿勢は多くの人に勇気を与え続けているはず。

そんなノリックの勇姿を自らに取り込もうとしたバレンティーノ・ロッシは今年最高峰クラスの21年目、41歳、2年遠ざかっている勝利をもぎ取るために、最後のヤマハワークスライダーとしてのシーズンをスタートします。シーズン開幕は7月17日、スペインのヘレスから。

ろっしふみ、がんばって!

 

 

希望の女神「二階堂ふみ」は蘇る

マン島へ行こうとしていたのに、コロナウイルスの影響でTTレースは中止となり、行けなくなってしまいました。

まぁ僕の場合は生きていれば、また来年があります。(来年ダメなら再来年)その一方で、今を生き延びなければ(文字通り+資金的に)ならない人がたくさんいて、心苦しいばかりです。

ただ、皆が我慢を強いられる苦しい日常の中で、自分の中で「救われているなぁ」と思ったのが、朝ドラの「エール」です。基本、朝ドラはハッピーエンドで終わるので、(一部例外はある)どの作品が今の時世に流れていても、それなりに良いとは思うのですが、この作品は過去作よりも、話としても映像としても力強くあると思いました。(僕はNHK関係者でもN国党を悪く思う者でもないので悪しからず)そして何より、キャスティングが素晴らしいと感じました。

特に言及したいのが、二階堂ふみです。彼女は園子温監督の「ヒミズ」で、ベネチア国際映画祭の最優秀新人賞を受賞しました。「ヒミズ」は、原作の絶望的なラストシーンを希望を感じさせるシーンに変化させることで、賛否両論ありましたが、僕は肯定的に受け止めています。

その理由は、園子温は映画を東日本大震災と結びつけるという、これまた賛否両論が起こる演出を施しました。その結果、震災後のラストシーンを絶望的なものとする訳には行かなかったのです。そして、絶望を希望に引き上げるピースとなったのは、二階堂ふみだったのです。ヒミズでの二階堂ふみは、若々しく、辛い状況にも心折れないポジティブさを持つ女性である茶沢さんを演じます。同じクラスの不思議な少年「住田くん」が気になり、アプローチを続けます。しかし、住田くんは、母親には自分を置いて逃げられ、父親はとんでもないクズ人間(よりによって朝ドラでは音さんの父光石研!)で、自分の尊厳を踏みにじる言葉をかけられた衝動で、住田くんは父親を殺します。

父親殺しを知った茶沢さんは、住田くんに自首をさせ、辛い中でも生きることで、希望への道を歩かせるのです。(原作では絶望した住田くんは自殺する)

そして今回のエールは、まさに茶沢さんが絶望下に置かれた世界を元気付けるために帰ってきたと僕には思いました。

ヒミズの時の初々しさはそのままに、成長したところも見せながら主人公の裕一(ヒミズの住田くんも下の名前は祐一)の灯火消えそうな夢を、力強く支え続けます。

園子温二階堂ふみに託した復興への希望を、奇しくも8年後、思わぬ形で二階堂ふみは再度復興への希望として、蘇りました。

彼女の演技が日本社会復興への灯火として輝き続けることを願うばかりです。


映画「ヒミズ」予告编

 

 

〜マン島を目指して〜2020年やりたいこと

令和元年がもうすぐ終わろうとしています。

今年は職を変わったり、盲腸になってしまったり、肌が乾燥敏感肌になってしまったり。

30代になり、あちこちで体が徐々に衰えているのだなぁと感じてしまいました。

これからずっと衰えっぱなしなのにね…

それではいけないので、僕は後先考えず、来年やりたい事を実現したいので、ここに記すことにしました。

 

それは…

 

イギリス領のマン島へ行き、TTレースの写真を撮りに行くことです!

このレースは、かつては世界選手権(今のMoto gp)として開催され、本田宗一郎がホンダを立ち上げてから

最初に参戦した世界選手権であります。島を1周する公道を封鎖して作られるコースは一周60km以上!

民家や木々の脇を時速320km以上で走り抜けるライダーたちには尊敬の念しかありません。。

 

当然このレースには危険が多く、毎年1名以上が亡くなっています。

しかし、このレースは危険だから中止という事はなく、毎年開催され続けています。

もちろん、ライダーやその家族も危険すぎるということは分かっており、(だから世界選手権カレンダーからは外れてしまった。)

マン島のレジェンド、ジョン・マクギネスはレースの直前には家をきれいに掃除していました。

心を落ち着かせる為であり、死ぬ可能性もある中で、身をきれいに整えるという意味があるとおもいます。

 

マン島に参戦するライダー達は、公道を300kmオーバーで走行する姿から、豪快な人たちというイメージを持たれがちですが、

実際にはすごく繊細にマシンを煮詰めて、コース状況を把握して走っています。

 

僕は、マン島TTレースが、街の人の恒例行事として溶け込んでいる姿、ライダーが繊細かつ勇猛に人々がのどかに暮らす街並みを

駆け抜けていく姿、チームやファンが、ライダーを盛り立てていく姿をどうしても撮影したいです。(できれば体が元気なうちに)

 

ホテルや交通手段を調べていると、フェリーのチケットは半年前なのにもう取れなかったり、ホテルも空いておらず、テント泊しか無いような

感じですが、なんとかして実現させたいです。カメラには500mm f5.6&300mm F4のニコン単焦点レンズを購入しました。

元々200-500 f5.6のズームレンズを持ってはいましたが、機材をかるくしたほうが、足取り軽く、海外の慣れない道を

歩き続けられると、思ったからです。

あと半年、このレンズと仲良くなって、最高の瞬間を収められるようにしていきたい!

 

ちょっと暑苦しくなってしまいましたが…

今年も残すところ10日ほど。

「頑張っていきましょー!」

濡れた傘を持ち歩きたくない話

こんにちは。関東地方ではついに梅雨入りをしてしまいました。

tenki.jp

梅雨の時期だからといって、ずっと雨が降っているわけでは無いですが、やっぱり僕のようなバイク乗りにとっては憂鬱であります。

そしてもう一つ憂鬱なことといえば、

そう!

傘を持ち歩かなくてはいけないことです。

特に雨が降っている時に満員電車に乗らなくてはいけない場合が最も辛いです。

何がそこまで嫌かというと、、

①手が片方塞がる。

傘を片手で持たないといけない為に、つり革なんか持ってしまったらもう本も読めないしスマホを操作するのも難しい。

②濡れた傘が自分に触れる。

満員電車に乗った場合、濡れた傘を自分から離して持つことは出来ません。他者に濡れた傘が触れてしまえば大きなトラブルにもなりかねません。

③濡れた雫が床に落ちて滑り易くなる。

傘から滴った雫が、駅や電車の床を濡らしてより滑り易くなってしまいます。

④電車に乗る物の容積が増える。

人と傘が乗り込むし、普段は電車を使わずにいる人が雨の日には電車に乗り込むので、毎回雨の日は普段より混んでいます。

そこで提案したいのが

駅で実施する傘のサブスプリクションサービス!

流れとしては・・・

①今日は夕方から雨か。。

東京都23区内に住むよしおさんは、JRで、御徒町から浜松町へ通勤しています。

よしおさんは駅に設置してある傘のレンタルスペースのサイネージを見て、今晩は雨であることを知ります。よしおさんはSuicaをタッチして、傘をレンタルスペースから持っていきます。そして傘を持って会社へと向かいます。

②帰りは傘を差して帰ろう!

案の定夕方から雨が降ってきました。よしおさんは帰宅時、レンタルした傘を差して、浜松町の駅へ向かいます。よしおさんは浜松町の駅のレンタルスペースに傘を戻し、電車に乗り込みます。

③電車の中では傘を持たずストレスフリー

電車の中では傘を持たずに、大好きな作家の小説を読み進めたよしおさん、満員電車のストレスも仕事のストレスも少し忘れることができました。

④降車駅からはまた傘をレンタルして。

御徒町の駅に戻ったよしおさんは、御徒町駅のレンタルスペースでSuicaをタッチして、再度傘をレンタルします。月額定額制なので、日に何度借りても料金は変わりません。ビニール傘1本買う値段でどこでもレンタルできるのはいいなぁ。

明日の昼まで雨は続くみたいだし、明日の朝は傘を持って出勤しよう。。。

 

そんなサービスができれば、都心ではある程度需要があるのでは無いだろうかと思います。郊外では、人口も少ないし、車などで通勤方法がばらけるので厳しいとは思いますが。

都内の私鉄やJRを動かすことができれば、事業化して一気に拡がると思います。

そこから更に、持ち運びが限定的であることを生かして、少し大きめにし、耐久性やデザイン性の高いものを採用すれば、実用性でも差別化することができます。

 

小池都知事がオリンピック観戦用の傘をPRしていましたが、

www.huffingtonpost.jp

シュールではある(笑)

傘の基本的デザインは何百年変わって無いですし、現代のテクノロジーで変わるきっかけを作っていければ良いなぁと感じました。

民放局はニュース番組をやめてみたら?

今回、川崎で19人を刃物で殺傷した事件が発生し、再び報道の在り方が世間では話題となっています。

私は、今の収益構造を考えると、マスコミは事件を文字通り食い物にして生きていくのだろうと考えました。(特に民放)

というのも、彼らは事件報道を放映し、それを多くの視聴者に見てもらい、得られた視聴率を元にスポンサーから報酬を得るからです。

簡単に言えば、センセーショナルな事件報道がスポンサー収入に結びついてしまっている事が問題なのです。

例えば、視聴者のことを考えても、彼ら視聴者は噂好きで、口では綺麗事を言っても、被害者の不必要な情報をマスコミが放映すれば、それを視聴してしまいます。今回みたいなセンセーショナルな事件であれば、各局ともにそれを放映するわけですから、他の局が取材していない事を取材しようとして、関係がない情報を電波に乗っけてしまうのです。

ニュース番組に収益構造が絡みつくことによって、ニュース番組の質が低下していると思うのです。

その点、NHKはニュース番組が収益構造とは離れた場所にいるため、公正かつ正確な報道ができます。

最近、私の彼女が朝見ている民放の朝のニュース番組を一緒に見ていて感じたのですが、大麻を使用した元アイドルの送検映像を生中継で放映していたり(チャンネルを変えたら他の局も一斉に放映していた。。まぁ今に始まったことはありませんが)映像映えするものスクープの生中継火災映像など、その情報は本当に必要なのか?というニュースがあちこちに存在していました。

自分が不必要な情報が他者も同様に必要でないと言い切りたくはありませんが、テレビを見ていてためになった気持ちはあまりありませんでした。

全ての民放番組はダメだというわけでもありません。民放バラエティ番組の中には本当に面白いものがありますし(ただバラエティの質低下に言及する人も最近は多い。)

元々は新聞社がテレビ局を作っているわけで、そういった意味で彼らは事件報道のプロであると言えます。

 そして、収益構造に加え、ニュース番組の類似化や、現場で発生するマスコミ各社の競争も問題に拍車をかけていると言えます。

狭いところで競争しているというのが、報道というものを悪くしているのではないでしょうか?

いっそNHKに報道はお任せしてしまった方が、受信料を払う人は増えるし、国民のお金を使っているので、監視の目も働いて良いのではないかと思うのですが。

飛躍しすぎかなぁ〜?

 

 

音声認識は人間の夢を見る。

久しぶりの投稿となります。もっと更新頻度を増やしていかなければ。。

最近思ったことで、

巨大IT企業は、音声認識ソフトに力を入れています。

例えば、アップルはsiriをiphonemacに埋め込んでいますし、googleamazonスマートフォンスマートスピーカー音声認識ソフトを使用しています。

しかし、そこで1つ疑問に思うことがあるのですが、

音声認識ソフトを擬人化したらユーザー満足度は跳ね上がるのでは?ということです。

顔が見えない機械より、顔が見える機械の方が遥かに話しやすいと思いますし、

昔からこの国はロボットに人の格好をさせたり、ゲームで疑似恋愛を楽しむという文化がありました。

ましてや、任天堂ソニーはキャラクターを作りキャラクターをユーザーが動かして楽しむという文化を創り上げてきました。

このアイデアを更に具現化するのなら、Siriが擬人化されたとして話を進めていきましょう。

①ユーザーはSiriのアバターを好きに作ることができます。美人秘書タイプや、世話焼きお母さんタイプ、美少女タイプや甘い声のイケメン、動物などが挙げられるでしょうか。

アバターは性格の方向性もある程度決めることができます。

奔放、やんちゃ、おせっかい、真面目、冗談好きなどでしょうか。

③ユーザーがSiriを呼び出して話しかけると、個性的な対応をSiriがしてくれます。そして、画面にはアバターが表情豊かに話しているアニメーションが表示されます。

④後は指示したことに対して、Siriが音楽をかけたり、検索結果を持ってきたり、ファイルを見つけ出したりということを今まで通り行ってくれます。

⑤アクセントをつけるならば、スタンダードの検索結果に上乗せする形でSiriがキャラクターに応じた音楽や映画、お出かけスポットや検索結果をレコメンドするようにします。

⑥このレコメンドはユーザーの選択に応じて学習し、より個々の嗜好に寄り添っていく形になるでしょうか。

 

Siriにこんなことを話しかけると、面白い答えが返ってくる!みたいなニュースがたまに現れるので、少なからず需要はあるのではないかなぁと思います。

www.itmedia.co.jp

 

大学では音声認識の研究は進んでいるようですし、GAFAに関わらずこんな取り組みが実施されることを期待しています。

〜そして原子力は日本を覆った〜映像の世紀風

土曜日、家でゴロゴロしながらTVを見ていたところ、気になるCMが流れてきました。

電気事業連合会(以下電事連)のもので、俳優の石坂浩二が、日本のエネルギー自給率の低さを訴え、それを解決するためには原発を組み込むことが重要です。

という内容のものでした。

この内容のCMは震災前にはよく流れていました。

東電では考古学者の吉村教授や草野仁関西電力では今は亡き星野仙一氏。原発に使ったウランから出る高レベル放射性廃棄物のCMでは渡瀬恒彦岡江久美子と言った具合です。

大御所、エリート、知的と言った芸能人が国策という大義名分の元、豊富な宣伝費からギャラをもらい、原発は必要という意識を視聴者に植え付けようとしている。

 震災から8年が経過し、国民の原発への意識はもう薄れたのかと私は感じました。

そしてそもそも、原爆の唯一の被害国だった日本がなぜ戦後20年少々で福島で原発の商用運転を開始できたのかという事に疑問を持ち、調べてみました。

 そこでわかったのが、一人の野望を持った男でした。

彼の名は【正力松太郎

聞いたことがある方も多いかもしれません。何故なら、彼はプロ野球の父と呼ばれ、読売巨人軍を創設した人だからです。

そして、5万部の売り上げに過ぎなかった読売新聞を日本一の新聞社に押し上げた新聞王であり、日本初の民放テレビ局である日本テレビ創始者でもありました。その為、テレビの父という風に呼ばれることもあります。

 そして何より彼は政治に大きな影響力をもたらしたいが為、アメリカのアイゼンハワー大統領が唱えた原子力の平和利用(atoms for piece,レディオヘッドトム・ヨークのサイドプロジェクトの名前としても知られています。)を推進する為、日本テレビや読売新聞を使って世論を原発支持にまとめあげ、自らは衆議院選挙に出馬、当選し、初代原子力委員長、科学技術庁長官などの原子力に関連する職につき、総理大臣を狙いに行きましたが、その夢は果たされることなく、亡くなります。

 そして、正力松太郎アメリ諜報機関CIAの協力者でもあったそうです。彼は反共産主義者であり、日本をエネルギー不足から救うことが共産主義から日本を守ると考えていたそうです。

そしてアメリカとしても敗戦後、自らのしもべとして育ててきた日本を共産圏に取られることはあってはいけないことで、(冷戦だった当時は現在より共産党が力を持っており、第五福竜丸の被曝事故などもあり、反米、反核デモが相次いでいた。)

そこで正力は読売新聞に原子力を賞賛する記事を連載し、アメリカの原子力平和利用使節団(ホプキンス・ミッション)を1955年、日本に呼び寄せます。

 そこで原子力平和利用博覧会を開催し、多くの国民を原子力エネルギーの積極的利用に賛成させる事に成功します。

(ちなみに読売新聞の社説は現在でも原発稼働には賛成です。)

そして満を持して衆院選に当選した正力は、日米原子力協定を結ばせ、原子力三法(原子力基本法原子力委員会設置法、総理府設置法)を可決させ、初代原子力委員長となって、産業界、学者たちを原発賛成にまとめあげ、(正力の懐刀だった柴田秀利は学者の名簿に印を付け、共産系学者を区別していた。)

そして1963年10月、ついに日本初の原発が誕生した。

 そこから4年後の1967年に福島第一は着工し、1971年3月に営業運転を開始しました。

田中角栄が総理大臣になったあとは、電源3法を成立させ、原発を誘致した自治体には莫大な交付金を与えて次々に原発を作り、冒頭のようにメディアを利用して原発は安全でクリーンと信じ込ませ、日本中に50基も建造するに至りました。

しかし2011年、3月11日を境に日本の原発安全神話は崩壊し、その後一時は日本の原発が全て停止してしまいます。

 しかし、その後政権が民主党から自民党に移ったことをきっかけに、停止していた原発は再稼働への道を歩んでいます。2015年にはついに鹿児島の川内原発が再稼働しました。

 そして冒頭のようなCMがお茶の間に流れ始めます。

さて、原発が日本に建てられた理由はアメリカの推進や正力の野望であるということが分かりましたが、問題はこの後日本はどういう風に原発と付き合っていくのかです。

私は、現状稼働するのはやむを得ないが、早めに停止させる必要があると思っています。

1つ目は、政治的な構図が大きく変わりました。冷戦が終わり、日本は世界第一線の技術大国になっているので、(増してやアメリカはスリーマイル原発メルトダウン以降原発の新規建設を行っていない)周りの国の顔色を伺う必要が無くなりつつあるということです。

 2つ目に、太陽光、風力などの再生可能エネルギーが主電源として歩める可能性が大きいということです。エネルギーコストの低下、発電効率の向上で伸びしろがあるだけではなく、いくつかの先進国では、最も電気を作っている方法となっているのです。

助成金太陽光発電所を作るのがブームになりましたが、これをブームで終わらせない努力が今後必要となってきます。

 そして3つ目が

ブラック・スワン』に備えられるかの疑問

ブラック・スワンとはイスラエルの学者ナシーム・ニコラス・タレブ教授が書いた世界的ベストセラーで、予測できず、非常に強い衝撃を与える出来事で、一旦発生すると後付けの説明がでっち上げられてしまう事である。

46億年の歴史を持つ地球の中で近代文明は数百年程度しか生きておらず、今後どんな災害が起こるのかを予測しきれていない中で、目に見えず一気に広がり、簡単に生物を死に至らしめるものを使えるのか。そしてそのリスクを覆ってまで原子力に頼る価値があるのかというのが素朴かつ最大の疑問なのです。

 次に出す例は災害とは違いますが、原発でウランを投入した後に発生する高レベル放射性廃棄物は、青森県六ヶ所村の地下300mに埋められていて、将来的にも地層処分をする方向で話が進んでいるのですが、

高レベル放射性廃棄物が危険では無くなる100万年後には地層が隆起して1000m近い山を形成するという話があります。40年の安全を担保することが出来なかったのに100万年の安全を良く担保するという話です。

現時点でさえ多くの高レベル放射性廃棄物がすでに廃棄されています。リスクを考えた場合、もう増やすべきでは無いと感じます。

 更にこの話に付随する形で、ウランを燃やした後に高レベル放射線廃棄物と共に生み出されるのがかの悪名高きプルトニウムであり、日本は発電後に発生したプルトニウムを45t使用していると言われています。

プルトニウムはウランと比較すると非常に不安定な物質であるために危険があります。

ニュースで聞き馴染みのある言葉で、高速増殖炉という言葉がありますが、その高速増殖炉プルトニウムを投入して発電させ、更にプルトニウムをまた取り出すことができるという燃料サイクル的には素晴らしい装置なのですが、日本で実験炉として稼働した『もんじゅ』は約20年の期間で、トラブルが続き廃炉となり、商用運転は事実上頓挫した状態です。つまり、プルトニウムは増え続けて、それを持ち続けるということです。

正力松太郎は、プルトニウムが発電後発生することを見越して、それを元に核武装も考えていた。という説すらあります。都市伝説くらいに考えておくのが良いと思います。)

それでも電力会社はプルトニウムを持ち続けてはまずいので、既存のウランにプルトニウムを混ぜて発電するプルサーマル発電を実施しています。

 これはウランを燃やすために設計された原発が安全マージンを削って発電することを意味しているとも言われております。

 

一方、原発が簡単にやめられるものでは無いと電力会社は感じているはずです。その理由は何かと言えば、

廃炉にするのが大変

何十年もの時間がかかる上、1基あたり費用が500億程度かかり、福島のように事故にあった発電所は1兆を優に超える金額がかかります。50基以上の原発を廃炉にするためには莫大なコストと労働力、そして時間が発生してしまうのです。

プルトニウムの処理

プルトニウムを利用できなければ、この核爆弾の原料という危険物質を意味もなく持ち続けることになってしまいます。

 


③時代に応じて立ち回る必要性

偶然見た石坂浩二原発賛成CMから、日本の原子力政策の成り立ちと今後を考察したわけですが、政府はじめ決定機関は組織のがんじがらめの中におり、今動いているものを止めて労力を使って立ち向かって行くことを選択できないだろうなぁと思います。

私は小泉さんが後7年早く(首相の時)原発NOを言い出していたら事態は変わっていたと思うのですが。。

今後原子力政策に真っ向から立ち向かえるのは外務大臣として評価を上げている河野太郎氏なのかなぁと思います。

しかし、電事連は激しく抵抗するでしょう。読売新聞も反対するでしょう。官僚は頭を抱えるでしょう。その時世論は原子力の成り立ちを知っているのでしょうか?核燃料サイクルが何かを知っているのでしょうか。。